| 心の姿をそのまま映し出す不思議な鏡 | ||
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| 澄子さんと接していると、ふと自分のきずかなかった部分にきずきはっとすることが良くあります。 私にとって、澄子さんは何の曇りもない鏡のような存在で、澄子さんと対することは、まるで、クリアーな鏡の前に座るのと同じ様だと感じることがよくあります。 澄子さんという大きなクリアーな鏡の前に座ると、自分がどんな姿なのか自分で見ることになります。 その本当の自分と対することで、見えてくるものは、その時々により違います。 その鏡は、とても優秀にその時鏡の前にいる人にとって一番必要なところがクローズアップして見えます。 先日、澄子さんからお電話を頂いた時、私はいつもと変わらないつもりで話しをしていました。 すると、澄子さんが「きょうのあなた、いつもと違ってなんか変だわ。」といわれるのです。「体調でもわるいの?」と。 私はその日、別に変わった出来事もなかったし、寒かったので、少し風邪気味なので、そのせいだと思っていました。 翌日また澄子さんからの電話で、澄子さんが用件を話されていることに、私がうなずいて1こと3こと答えただけでしたが、澄子さんは「やっぱり、あなたきのうからへんだわよ。」といわれるのですね。自分では、思い当たるはっきりした理由が見つからないのでどうして澄子さんがそう言われるのか少し頭をかしげてしまいました。でも、少したって思いあたったことがありました。 そうだ、ここ何日か自分の使う時間を浪費していたことで、自分のどこかが気持ち悪かったことが思い出されたのでした。何日かに使った時間は、私にとって楽しい時間でもなく、かといって私が他の人のためにと無理して使った時間であっても、その人のためにはなっていない時間だったのでした。自分が心から善しとして使わない時間がどうして他の人のために有効だろうかと、少し感じてみればわかるはずでした。 だから、1日の終わりに何処か、満足感がなく、後悔のような感情が残っていたのは事実でした。人に言うほど、たいしたことではないと自分の中で判断していたのか、そのこと(自分の後悔の感情)を何処かに放っておいたようです。しかし、澄子さんは私の声の波動から、それを見逃さなかったのでしょう。 澄子さんに指摘されなかったら、私はその一見どうって事がない時間の浪費について、その後あまり注意をはらわなかったことでしょう。 ああ、わかった。このことを澄子さんがへんだと言われていたのは… と、わかった瞬間、目の前がぱっと明るくなったのを感じました。 宇宙や天使が一番不思議に思う、人間の行動の1つが、こんなことなのではないのかな?と思いました。 たいしたことないどころか、コレは生きることへの不誠実な時間の使い方だな。と。エネルギーの無駄使い。無駄使いということは、自分にも、他の人のためにもなっていないということだもの。 私には私の今やるべきことがあり、それをしている時が心地よく、そうでないときが心地悪い。とてもシンプルでわかりやすいのに、どうしてわざわざ心地悪いことをしてしまうのか、この40年間、かなりこうした自分を欺くことをしていると、わかっているつもりでもつい変な今までの生きる癖が出てきてしまうようです。そんな時は早めに軌道修正するに限ります。 それには、澄子さんのクリアーさが私には大変ありがたいものです。 時々はそのクリアーな鏡の中に、自分の醜い姿が映し出されて、見たくないものも見えてしまい、ショックを受けることもありますけれど、そんな時は、直せるようにすればいいのでして、心は形がない分、多分、形を変えやすいから、変えたいという自分の意識の力で直せると思います。 そして、いつか本当になりたい自分を、澄子さんのクリアーな鏡に写してみたいな。と思っています。 |
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